月に一回・山風感想。今月は山風最高傑作と推す人も多いこちらを選択。題名からも分かるように、草鞋取りから天下人まで成り上がった豊臣秀吉の生涯――いわゆる「太閤記」を、基本的には史実に基づきながらも、ある一つの仮定を軸に据えて山風流にアレンジして描いた、「妖説」と呼ぶにふさわしい傑作。作者自己評価は「A」。
豊臣秀吉といえば、世間一般にはやはり「天性の人たらし」とか「裸一貫から天下人まで成り上がった才覚者」とかいう具合に、少なくとも天下を完全に掌握するまでは何だかんだとポジティブなイメージの強い人物ではないかと思います(晩年はアレですが) しかし、この作品の秀吉は控えめに言っても人間的に最低の部類の人なので、そういう要素は期待するだけ無駄です(断言) 秀吉を腹黒い策略家と描写する作品自体はまぁさほど珍しいものでもないと思いますが、それでもここまで嫌悪を抱く描き方をされるのは珍しい。そうまで読者に思わせるほどに、この作品の秀吉を動かし続けた原動力。それは、ずばり「女」。特に年若い女、高貴な女を手に入れたいと、ただその欲望だけを原動力にのし上っていく、その姿は悪人以外の何物でもないという。ここまで徹底されると、ある意味で潔い。
上巻では、猿面で貧弱な体躯の秀吉が、「ただ一つの目的」のために、その見た目すら利用し周囲の油断を誘いながら、竹中半兵衛・黒田官兵衛といった参謀たちとともに衛権謀術数の限りを尽くし、邪魔になった人間は情け容赦なく排除しながら出世街道を突き進んでいく様子はが描かれるのですが、その手法が実にえげつない。何度も読んでいると多少はその所業に対する嫌悪も薄らぎそうなものですが、個人的には「……いやごめんなさいやっぱりこれは無理」みたいな状態になる。そんな感じで、「もうこの人早く死なないかなぁ……」と思うほど徹底して悪人に描かれているのに、その異様な迫力と執念が(間違っても近くにいてほしい人種ではないけれど)奇妙な魅力に感じられるのも事実で……まさに二律背反。
下巻になると、いよいよ天下を手中に収めてやりたい放題の限りを尽くす秀吉の姿が、実に冷静に、醜悪に、容赦なく描かれていくことに。中でも、畜生塚のくだりは、辞世の句とそして処刑されていく女性たちの姿が想像するだけで悲惨すぎる。その秀吉に対し、それぞれの方法で対する家康や北政所の強かさは作中の清涼剤……というにはどギツすぎるか。えぇと、まぁとにかくベクトルの違う意志の強さにニヤリとします。
栄耀栄華を極めながら、心底望んだものだけは手に入れられなかった男の、とことん醜悪で、哀れな物語。家康の最後の述懐が、この作品に抱く奇妙な感覚を全て言い表しているような気がします。