「藍鼎元か、これはどんな人物だ」
「一口に申さば、物事の軽重を弁えた男にございます」
吏部尚書の言葉が終るか終らぬうちに、雍正帝は膝を叩いて叫んだ。
「それだ。その者を呼べ」――「発端 ―実際にあってもいい話」(p7)
「読書の夏」リスト消化、3作品目。清朝は雍正帝の治世、不作が続き人民が困窮していた広東省潮陽県に長官として赴任した藍鼎元。彼が残した記録を、東洋史の碩学・宮崎市定先生が非常にリーダビリティの高い読み物として翻訳した一冊。
まず、宮崎先生の手によって序文代わりに書かれた小編「発端」に意表を突かれる。「実際にあってもいい話」という副題が添えられたその創作は、まるで陳舜臣氏の小説を思わせるような語り口で、自然と当時の社会や藍鼎元の置かれた状況に読者を誘ってくれます。
続いて始まる藍鼎元自身の手による「鹿洲公案」。「実際にあった話」であるこれが、また面白い。23編から構成されるその内容は、まるで包公か大岡越前かという感じの名裁き。本人の残した記録だから、若干は誇張や美化などもあるでしょうが、それを差し引いても、様々な難件を持前の胆力と機略を存分に発揮して解決へと導いていく藍鼎元の手腕は素晴らしくて、1編読み終えるたびに感嘆してしまいます。
言うまでもなく流暢で読みやすい訳文であることも手伝って、読んでいると翻訳小説でも読んでいるんじゃなかろうかと思わず疑ってしまいますが、あくまでこれは実話。それが何でこんなに面白い読み物になるのか。巻末の解題で宮崎先生も述べられているように、「出てくる人物はあくまで現実の人物で、それが期せずして複雑なドラマを構成」していることで、結果として「旧中国社会の実態を記した書として、これほど面白いものはないと思う。本当に小説よりも面白い」という内容になったということなんだろうけどなーと、読了後にぼんやりと考えた。まさに、事実は小説よりも奇なり。