路傍の石が一つ水に落ちる。
無数の足が忙しげに道を通り過ぎてゆく。
映像にすればただ一秒。 ――山田風太郎 「三十四歳で死んだ人々」(『人間臨終図巻 I』p125)
「読書の夏」リスト消化、2作品目。普段は適当に興味のある人とそこからつながっている人をぱらぱら読むという超手抜な読み方をしてるので、かなり久しぶりの通読。さすがに疲れた。
内容は、題名からも一目瞭然。十六歳で死んだ八百屋お七から百二十一歳で死んだ泉重千代まで、古今東西老若男女善悪貴賤を問わず、900人を超える人間の臨終模様を、死んだ年齢順に淡々と記した作品。ちなみに第1巻は十代から五十五歳、第2巻は五十六歳から七十二歳、そして第3巻は七十三歳から百代で死んだ人々の臨終が、それぞれ収められています。
面白いというよりも、いろんな意味で興味深いというほうがしっくりくる作品。山田風太郎独特の醒めた視点・皮肉混じりのユーモアで描かれる数々の「死」。短ければ数行、長くても4ページ程度の間に凝縮された人々の人生とその迎える死の形は事故・暗殺・自殺・老衰・病死・戦死・銃殺・拷問死・絞首刑などなど千差万別ながら、それでもしかし、人間結局は誰でもどんな風にでも生きて死ぬだけだと、そんな当たり前のことを真正面から突きつけられるよう。また、感傷的な描写は極力避けたと思われる文章なのですが、意外な交友関係や歴史背景もさらりと織りこまれ、無味乾燥な事実の羅列にならず物によっては短編小説のような味わいすら感じるのが凄いなぁと思います。時折筆者の所感などが差し挟まれることで、その生死観や歴史観がうかがい知れるのも興味深いですね。
各章の冒頭には死にまつわる言葉が記されているのですが、その中でもひときわ痛烈かつ辛辣な印象が残っているのが、「九十五歳で死んだ人々」の項。
――「人間の死ぬ記録を寝ころんで読む人間」。