「ガンジージー、私には祖国がありません」
ガンジーは不意をつかれ、彼をさえぎった。
「何をいうのかね、博士。あなたには祖国があるではありませんか。円卓会議でのあなたの働き振りについての報告で、あなたが立派な愛国者であるということを私は良く知っています」
「あなたは、私に祖国があるとおっしゃいましたが、くり返していいます。私にはありません。犬や猫のようにあしらわれ、水も飲めないようなところを、どうして祖国だとか、自分の宗教だとかいえるでしょう。自尊心のある不可触民なら誰一人としてこの国を誇りに思うものはありません。(後略)」――「第十章 ガンジーとの戦い」(p135-p136)
「読書の夏」リスト消化1冊目。不可触民に生まれながらも、周囲の援助となにより自身の不屈の意志と努力で高等教育を修め、ついには独立インド初代法務大臣まで務めたアンベードカル博士の65年の生涯を丹念に辿った伝記。インド近代史、そして何より不可触民問題の一端を知ろうと思えば必携の一冊ではないかと思います。
冒頭から折に触れて描かれる、不可触民に対する有形無形の差別の数々は、もはや想像を絶するレベル。自身も動物以下の扱いを(地位と名誉が不動となった後ですら!)幾度も受けながら、それでも不可触民が「人間」として生きるという権利獲得のため、生涯に亘ってカースト制度――ひいてはインド社会そのものに闘いを挑みつづけたアンベードカルの生き様、その苛烈さと志の高さに自然と頭が下がります。
とりわけ印象に残るのが、第十章から扱われるガンディーとの激しい対立。敬虔なヒンズー教徒でありカースト制度の存続を容認している(不可触民に対する差別には反対。第5のヴァルナとして扱うべきというのがその主張)ガンディーに対し、不可触民階級としてカースト制度を憎み即時廃止を主張するアンベードカル。当然互いの主張がかみ合うはずはなく、初対面で行われた論戦を皮切りに何度も衝突を繰り返すことに。別にガンディーの偉大さに異論を唱えるつもりはありませんが、アンベードカルがもぎ取った不可触民の分離選挙に反対して「死の断食」を決行するなど、世間一般に浸透している「聖人」というイメージだけで語れる人ではないんだなぁと、人間の持つ多面性について今更ながらに思い知らされるような、そんな気分です。