『南総里見八犬伝』本編を要約して語る「虚の世界」と、華やかな物語とは裏腹に暗雲立ち込めていく滝沢馬琴の実生活を描く「実の世界」の二重構造で語られる、山田風太郎流『八犬傳』下巻。
上巻の時点では「虚の世界」のウェイトが大きかったですが、下巻に至って「実の世界」のほうが徐々にその存在を増してきます。先達に確かな敬意を持ちながら、しかし冷徹に容赦なく、滝沢馬琴の人間性とそれによって破綻していく彼の実生活が描き出されていくのですが、それが納得できすぎ。「伝奇」を軽く超える悲喜劇性を発揮する「伝記」に、予定調和で進まない浮世のままならなさ&容赦のなさを感じずにはいられません。また、作者自身の意見の投影も、例えば「東海道四谷怪談」の芝居見物後に舞台の奈落で繰り広げられる馬琴・北斎・南北の論争といった形で、物語を損ねることなく取り入れられていることに思わず唸ってしまいます。「虚の世界」も八犬士が揃って以降はやや失速感があるものの、やっぱり面白いし。
そして、最終章の「虚実冥合」は、その章題から虚構が現実に侵食してくるんだろうかと一瞬思ったりしますが、別にそういうことではなく、八犬伝の物語は物語として大団円に向け疾走し、落魄の一途を辿る馬琴の私生活ととどめとばかりに最大の苦難が襲う様子が同時進行で描かれていきます。この最終章では「虚の世界」のほうははざーっと流れを語られるだけになるのですが、それが瑣末なことだ感じるほど「実の世界」に惹きこまれてしまいます。馬琴の鬼気迫った執筆生活の内実――とりわけ、全盲となった彼と嫁のお路との共同作業が生み出す境地は、決して派手なものではないにも関わらず、もはや「圧巻」とかいう程度の言葉ではまだ生温いんじゃないかと思うほどで。訪ねてきた北斎が見た光景には、確かにこれを目の当たりにしては黙礼する以外の行動はありえないと思わせられます。そして去り際の北斎の呟きに、馬琴のみならぬ業の深さが感じられるのもまた良い。同時に、作中で幾度も繰り広げられてきた数々の問答にもしっかり答えが導きだされているんだからまさに隙なし。ラストまで読んだ時には、「虚実冥合」とは言い得て妙だとひたすら感服する思いでした。